叶う瞬間はごく平凡

ずっと結婚したがってて、結婚した、30代半ば女の日記

え? レタスよりもサニーレタスの方が栄養価高いんだ!

最近、新聞を読んでいます。
大学生になって「読んでいます」なんて、恥ずかしいことかもしれないですが、


私にとって、とっても新鮮なことだったので、書きます。



読売新聞2009.11.13


わーい!
『野良コレ』! いいですねぇ!


ビビットカラーで目をひく写真に、イベントのコピー!

新聞の片隅ながら、しっかりとした存在感!




平和だなぁ〜〜。。。











…新聞って、なんだか良いです。



私はテレビをつけておくのがわりと好きなタイプなのですが、

ワイドショーで

なんてのを見てしまうと、


企画会議の様子が連想されて……(ポワポワ〜ン)。

こうして、
犯人の詮索ワイドショー、再現ドラマががおもしろおかしく開始する。



きっと演出家はこー言うんだよ。

「眼鏡つけたままシャワー浴びる姿を撮るねー!
はーい、下から照明あてて、
役者の立ち位置正面ね。
1,2の3でカメラ睨みつけて!ヨーイ、START!」


わー目に浮かぶ〜。
凶悪犯イメージの完成!


レポーターやコメンテーターがいくら真剣でも、
演出にしか見えないんです。


私の思い込みです。







すごくやりきれないキモチになります。







でも疑問なんですよね。


真実を伝えることに

「主婦層は今、これを知りたがってるから、こう作ろう!」


なんていう


「お客様目線」 は必要なのかしら?

と思ってしまうのです。

















新聞の前の方〜ぅには、
もう、見たくないしこれ以上は知りたくないくらいの
心苦しい事件や問題が並んでいます。


でも、あたいたちに必要なことってのは、


必要最小限に集約された、クールな記事を読みながら、
「感情」の部分の“編集”を、自分の頭のなかでするってことだと思うのです。

読んだ後の、自分の率直なキモチが
過去の記憶と自分の知識にまぜられ、頭で編集されたら、
それはまたひとつの事実だと思うのです。


なんもできないけど、
「意識」としてなにかできる。

なにか悪い道に転びそうになったとき、
きっと「NO」って言えるゼ!



そういうわけで新聞は、
どんなに重大な事件があっても、全ての面をそのことだけで埋めるわけにはいかないし、
味付けがほとんどないから、とっても「モノゴト的」に見ることができる。



社会面、総合面、経済面が最初にあって、後の方に行くほど、
暮らしや文化、生活など、「どーでもいいけど重要な事」になるので、

最初、「また事件? あーダメだよもう、こんな世の中なんなんだよ!」って記事をよんでも、
後々、「え? レタスよりもサニーレタスの方が栄養価高いんだ!」という、


ちょっとでも明日が良くなる情報が載ってる。

(“明日が”なんて少し大きく出たけど、ほんとにそう思う。)




キホン、「良くしていこうゼ!世の中!」というスタンスに感じるんですね。



もう、一部で
フォロー付きだよね!


それにしても
このblog記事にしろニュースにしろ、
重く受け止めすぎ!?






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