叶う瞬間はごく平凡

ずっと結婚したがってて、結婚した、30代半ば女の日記

「女らしくしなさい」と全く言われずに育ったため

母が東京にきた。

 

ワニのおもちゃみたいなグリーンのカジュアルなTシャツに、

ナチュラル系の芋ムラサキ色の、リネンのカシュクールを羽織って

クルクルの80年代風 短髪パーマで現れた。

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もう、ビジュアルが前衛的すぎて、

全身ベージュとか、黒とか、「攻めずにダサい」服装の人はいるけど

これほどまでに「意図せず攻めすぎて微妙」な格好を、私は見たことがないっ!!!!!

 

けれど、わたしはこの、人の目なんて気にしない

「せわしなくマイウェイ」な母の生き様がだいすきで、

子どものころは、のびのびした価値観で育った。

 

「男らしくとか女らしくなんて、いまどき古いよな♪

いろんな子がおるでな」って母に言われて育った。

 

母は、幼児教育者で保育所の所長をしてる。

私は子どものころから「女の子なんだから」とか

「おねえちゃんなんだから」とか言われたこと皆無。

 

そんなわたしも27歳。

アラサーですわ。

 

今「女の子なんだから○○」とか会社でふと言われると、違和感はんぱない。

「わたし、女の子。で、長女。」って自覚して生きてきたことが無かったけど、

今、社会に出て実感してる。

せっかくのびのびした価値観で育ったのに、

今は「化粧しないことは怠惰」とか「身だしなみが汚いからきっとだらしないな」とか「これだから末っ子は…」とか

平気で潜在的に思ってる。

 

 

社会人になってから

自分でコツコツと刷り込んだ「世間一般の価値観」が

苦しい。

 

思考が偏見に満ちあふれてて、つかれる。

 

と同時に、キレイにしてると得をするのは立証してる。

こんなそこそこの私でも

化粧して、愛嬌ふりまけば、

昼休みに私だけジュース貰えたり、お菓子もらえたりする。

見た目だけなら化粧とかヘアとか、お金である程度のところまでいける。

 

男性がいる職場では、若いだけで露骨に価値があるのも、

社会人になって初めて知った。

 

 

 

母はなぜあんなに変なコーディネートで銀座を歩けるんだろ…。

人の目なんてまったく気にせず、マダムに連れられた散歩中のパグを

嬉しそうに見てる。

 

幼児は「ダサい」って感覚がないから、

子どもの前でダサくても、おしゃれでも、

「(ぼく・わたしに)なにかしてくれるか」で好きな大人を決めるから、

あんなすごい格好が無意識にできるのかな…。

 

わたしはもともと他人の目を気にする気質があったけど、

「偏見」は東京にきてからひどくなった。

やっぱり、日々見るメディアとか、変なネットの記事とか、

影響されて偏見を育んでるんだろなー。

 

 

人の目から解放されたら、

生きるの楽しそう。

 

銀座のホコ天

パグに微笑み、

並木を見て「あんなところにビワの木が!」と騒ぎ、

何を食べても「食べたことない味や!」と喜ぶ。

 

 

そして、高校生のわたしだったら、こんな真みどり色のかーちゃんと、

絶対となりで歩きたくなかっただろうに、

今は「変を通り越して前衛的やん☆」と、一緒に笑って歩ける自分がいた。

 

 

本当は「人にどう見られるか」なんて

自分の幸せとは全く無関係なの

にね!

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