東海道新幹線の22歳の犯人「むしゃくしゃしてやった。誰でもよかった」。
目黒虐待の5歳の女の子「いきがきれるまでうんどう」。
朝から気が滅入るようなニュースばかりで、
この国のノペっとした日常の「闇の爆発」が東京で繰り広げられてて、
本当に嫌になる。
どうしても「自分には全然関係のない事件」には思えない
生まれてくるときに、「生まれたい」って思って出てくるわけじゃない。
選択肢は「産む」「産まない」を決められる親にしかない。
わたしはたまたま「いい親」「愛された実感が持てる家」に育ったけど、
そんなのなにが作用したかわからんし、自分の意志じゃない。
犯人の父親が普通にテレビに出てインタビューに答えていてゾッとした。
犯人をテレビで見たときもゾッとしたけど、「俺の甚平を大切にしてた息子」っていう美談を持ってくるズレにゾッとした。
この土日、母が3日間東海道新幹線で東京に来てて、
2日目に事件が起こった。翌日の新幹線で母は帰宅した。
大事な人が怖い目にあわなくてよかった…!って心から安堵した。
「大事な人」がそこそこ居れば、まず犯人みたいな気持ちにはならないと思う。
許されることではないし、
亡くなった正義感ある被害者男性を想うと本当に胸が痛い。
「生まれてよかった!」ってレベル
好きな人ができたとき「おまえが生まれてくれてよかった!」とは思うけど、
「わたし、生まれてよかった!」ってレベルにはなかなかいけない。
なかなかそんなステージにはいけない。
そんな自己肯定感の満ち足りたステージ、売ってるなら買いたい。
なんとなく、産み出されたからには
がんばって働いて迷惑かけない程度に
大切なひとや友人とそこそこたのしみながら、
美味しいものと景色によろこぶためにどうにか生きてる。
「仕事」「働く」「大切なひと」「友人」の全部無い人に
「自分を」「人を」大切にしろ、なんて
すごい難しい気がする。
死にたくなる気持ちもわからなくない
死にたくなる気持ちもわからなくないけど、
それ以上に
「死ぬなら勝手にひとりで死になよ、迷惑かけてんじゃないよ」って
わりとよく耳にして、それをきいてたら「どんだけ病んでんだ」って絶望する。
「生まれてよかった」って思えなくても
「生まれてよかった“かも”」くらい確信が持てない程度に
探索してくのが生きるってことなんかなぁ。
死にたいとき、消えたいときになかなか「生まれてよかった“かも”」とは思えんけど、
「そうゆうときもあるさ。」って、
本当は話を聞いてほしいだけなんかもしれない。