■好きになるポイント
鴨川ホルモーが巷で話題になる中、
鴨川・三角州にて飲み会が開催されました。
当然のごとく、出席!
ある女の子が「▲▲君が好きなんだけど、作品が好きなのか、その人本人が好きなのかがわかんない!でも、好きなんだ〜!どうしよう。。。」って話をしていて、それを共に聞いていた男の子が
「『作品みて恋する』って感覚が、俺にはわからんワー。」と答えた。
…ふむ。これは面白い価値観かもしれない。
前者だと、厄介なのが
「もし造らなくなったら(スランプ時)」
「女の子側の能力より相手が劣ったら」
「もっと出来る相手が見つかったら」
好きな相手は多少なりとも霞んで見えて、魅力的に感じなくなり、
もっと頑張れよ〜とか、思っちゃうかも。なんとなくいつまでもライバルで、のだめカンタビレ的な、ややストイックな関係になっちゃいそう。
でも、いつまでも自分はその人から学び得られて、尊敬し合える相手になる。
崇高な精神のもとに成り立ちます。(ちょっといいすぎかな?でも互いに大人でないと、続かない…。)
後者だと、もう、仕事と恋は別物にして、
その人自身に恋しちゃってるから、
どんなに変なもん創っても、駄目駄目でも、
許せちゃうのではないかと思います。
でも、相手を理解できない部分が出てくる。
例えば、ロダンの愛人・カミーユ=クローデルは、ロダンをものすごく愛していたけれど、愛が深まるにつれ、自分の才能が奪われていると感じ、精神を病んでしまった。
一方、「仕事とわたし、どっちが大事なの!?」なんてよくTVに出てくる女性は、夫の仕事への熱意や夫への尊敬の気持ちを欠いてるわけで。
私はどっちもわかるなぁと。
創る物もその人。かっこわるいとこも良いとこも、全部その人として認めて、始めて恋愛感情が成立するんではないか…と。
「私には自転車の部品の話なんて全然わかんないしつまんないけど、それでもあなたが好きよ」とか、
「僕には絵画はわかんないけれど、こんなの描けるなんてすごいよ」とか、そんな程度でいいのに。
■発見のセンス
糸井重里の本を、ヨーコの机にのってたのを読んだ。
なんだか「お茶目」に感じた。うらやましかった。
丁度家でTVを見ていたら、新番組がやっていた。
『松本ヒトシの○○な話』で、「『鬼は外』なんて許せない。鬼を外にやっても何も解決策にはなっていない。鬼が外を徘徊しているままなのだから。第一、豆で対処できるほどのものなら、ほっといてもええやろ!」と言う話が、面白い通り越して感動した!
この人、普段どんな視点で生活してるのだろう…!?
昨日飲み会で、『すべらない話』を体感。
結構レベルの高いメンバーで輪になり、『すべらない話』を披露する。
エア・サイコロのドキドキ感はたまらない。
すべらないってことは、『超絶おもしろい』よりもプレシャーのあるコトバで、大変です。
あの、たか〜いハードルの中をピョンピュオン飛び抜けるアオシー君はすごいと思いました。
エア・サイコロが自分の目になりました。
「面白いハナシをするぞ!」と心から構えたのは始めてです。
あの時の何とも言えないプレッシャーは、プレゼンとも違う、不思議なものでした。
いや〜、勉強になった。
「すべらないこと」は、案外すぐ側にあるっぽい。
コンセプトデザインの授業で「日常にデザインの発見はある」と聞いたけど、
「笑いのネタ」も当然のように日常にあるんですね?
そもそもある物や身に付いた習慣を
「まてよ?これ、よ〜く考えたらおかしくないか!?」と気付けるか・気付けないかにかかってるのかも。