叶う瞬間はごく平凡

ずっと結婚したがっていた、昭和なアラサーOLの話。

感想『“鬼滅の刃”は絶望に満ちていると思った』

鬼滅の刃』をNetflixのアニメーションで見始めたときは、「なんて暗い話なんだろう」と衝撃をうけた。こどもたちに人気のあるジャンプの作品だというのは知っていたけれど、ワンピース世代のわたしにとって、主人公の能力は「鼻が効くだけ」というのにまずおどろいた。

しかも、じゃんじゃん人が死ぬ。
1話目で6人くらい死ぬから、甘っちょろい作品が大好物の脳内花畑オンナにはなかなかキツいものがあった。

でも、だんだんハマっていってしまうのが、鬼滅の刃。だってすぐ死んでしまうし、生き返らないから。リセットできない世界観に「緊張感」と「美しさ」を感じてしまって、気がついたら全部見終わっていた。

正体不明の鬼がいて、家族を殺されて、自分はすこぶる弱い。「全部を笑顔で乗り越える!」という『ワンピース』や『オオカミ子供』のような「無理して笑顔で生きていく」という謎の美学が、この世界にはない。
(胡蝶さんは笑ってるけど、目が死んでる。)

主人公は「僕は長男だから」と闘いながら痛みをがまんをして、「もう限界だ」というニュアンスの発言を何度もする。
目的は世界一強くなることでも、宝を見つけることでもなく「妹を人間にする」という身内の目標で、組織に入っても出世欲がない。

こどもたちがこの物語の主人公に共感するのだとしたら、令和のすごい世相を見てしまった気分になった。

なんせ『鬼滅の刃』は「絶望」がベースで、全員に濃すぎる闇がある。底抜けに明るい男も親に捨てられていたりする。

根拠のない自信や、手の届かない夢よりも、
「半径1m以内にいる、自分の大切な人と生きる」ことに、生きていく意味を感じているのだとしたら、
こどもたちに対して、夢のない世の中にしてしまっていることに申し訳なさを感じるし、
これを読んで大人になるこどもたちは、とても優しく自分なりの幸福論を持っているのかと思うと、感動しちゃった。

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▲トイレットペーパーを見て「ネズコできるやん」

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