高校時代からの、なんでも気を許して話せる明るい友人。
そんな彼女の一人娘が、1歳とほんの少しで、この世を去ってしまった。
すごく優秀なのに驕らず、気さくでちょっと天然な彼女は、いつも何事にも一生懸命だった。
いろんなコンペで何度も賞をとり、自慢げにSNSにアップすることもなければ、会った時に自ら報告もしない。まわりまわって受賞を知り「おめでとう!」と伝えると「ほんとったまたまだよっ」と謙遜する。素のままで、カッコいい。
彼女が妊娠したときは、不思議な気分だった。高校生の頃から知ってる友達のおなかが大きいなんて…!
コロナ禍だからマンションの玄関まで行って、臨月の姿を見せてもらった。
久しぶりすぎて10分だけ立ち話した。「わたし、親になれるのかなぁ?」なんてソワソワしながら、いつも通りキャッキャし、写真を撮ったりなんかした。
1歳と3ヶ月の、まだ小さな小さな、わたしも会ったことない、
大好きな友達の赤ちゃん。
3週間前は「お茶しよ」「子ども連れ?全然ok!」ってLINEしてた。
2週間前に「子どもが入院してしまって、またあらためて」ってなり、
今日、具合を聞いてみたら「亡くなってしまって😢」と返事がきた。
こんな顔文字、打ちたくなかったろうに、
悲しくて悲しくて、仕事の昼休み中に大泣きしながら電話をかけた。
電話に出てくれた
わたしはもう、第一声から泣いてしまって、
本当に泣きたいのは彼女のほうだろうに、本当に申し訳ないことをした。
彼女は涙声で、気丈な様子で「実は病気だった」「早く気づいてあげられず、すごく後悔している」と、とても丁寧に話してくれた。「今はちょっと落ち着いてるよ、今夜が葬儀だから」と話してくれた。
泣きながら聞くしかなかった。
彼女は「働いてて、保育園に入れてたから、たくさんそばにいてあげられなかった」と言う。
「少しでもいつもと様子がおかしなことに、もっと疑うべきだった」「お医者さんや周りの人にめぐまれて」「最期は1週間くらい頑張ってくれて、そばに居れた」「ありがたい」って。
保育園の先生は症状を見て気がつかなかったの?小児科の先生も。紹介状書くの遅すぎるでしょ!!!と怒ることもない、
ただただ、起こったこと受け止めて、人に尽くしてもらったことに感謝してる。
嘘でしょ、って。
こんなに悲しいことってあるの?
あんなになんでもがんばる、悪口も言わない、明るくて健気で性格のいい彼女に、
どうしてこんな辛いことがおこるの。
マクドナルド・ハウス
マクドナルド・ハウスという、病気で入院してる子どもと、その親が快適に過ごせる施設がある。
彼女の家族も、ここで最期を過ごしたと言っていた。こんなことがなければ、マックのトレイについてくる紙を読んで「へ〜」と思う程度だった。
こんなふうに本当に利用されてるんだ。
全然知らない世界を知った。
大人になって、同じコミュニティで同じメンバーで過ごしていると、固定した考え方なりがちだ。自分が触れることない出来事は、起こってもない、関係ないことに感じる。
でも、どこかのチャリティやなにかの運動は、偽善じゃなくて、こうして誰かの居場所を作って、誰かの痛みを和らげてるのかもしれない。
知ることは大事だと思った。
人工授精の結果待ちの今
いま、わたしは不妊治療をしている。
先日、人工授精をして、今回生理が来なかったら妊娠検査薬を使うつもり。
今回は基礎体温も高くキープしているし、「もしかしたら…!と期待。
今日、友人の大切な子どもの訃報を聞いて、
なんて恐ろしいこと、怖いと思った。
よく、女性は子どもが出来たら強くなって、それはホルモンが「放っておいたら死んでしまう生き物」を守るためにそうさせてるって聞くけど、
子どもって、本当に死んじゃんだ…って。
放っていなくても、死んじゃう。
もし妊娠していたら、今日の日のことは絶対に忘れない。
授かるのにもわたしは苦戦しているのに、無事生まれて、元気に育つのって、ほんとに奇跡的なことなんだと、自分の不妊が続くほど実感する。
だから、わたし自身も奇跡のかたまりなのかもしれないし、元気で今夜ものすごくお腹が空いたことも、悲しくて泣き顔で午後ほとんど仕事が手につかなかったことも、全部生きてる破片。
もし、運良く授かって、子にいい成績や、いい就職先…とか、おかしな期待をかける母に自分がなりかけたら、絶対今日の日を思い出そう。「生まれてきて、元気にいるだけで奇跡」って。
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