4年前の忘年会3次会。お世話になってる上司(経営者)に言われた。
「早く結婚して、子ども産んで、そばにいてあげるのがいいよ!それが君にとっての幸せ!!」
は?なんでそんなこと言うの?勝手に決めんな!!!!
そのあと、
朝の4時まで上司と言い合った。
良いお年を〜と穏やかに別れるところもできずに、
じゃ!
みたいな感じで別れた。
むこうはかなり酔っていたけれど、
悔しくてムカついて半泣きで帰ったのをよく覚えてる。
それでも上司は
それからもその上司はちょいちょい飲みにいくたびに、
「女性は家にいた方がいい」「子どもが小さいときはそばにいたほがいい」と、
女性社員の前で平気で言っている。子育てしながら働く社員の前で。
「辞めろって意味なのかな?」って最初はおもってびっくしりてた。
雇っている側なので、辞められたら困るはずなのに、なんでそんなことが言えるんだろうと、謎だった。
「どうして女が働きたがるのか」をこうゆう男性はイメージしたことあるのだろうか?
専業主婦って貴族では?
いま、夫婦の一方だけ働いて、都内か首都圏郊外に一戸建てで暮らすのって、
ほぼ貴族レベルなんじゃないか。
例えば戸建に住んで、旦那だけ稼いで、子どもがいて、牛肉も野菜も食卓に並び、旅行も行けて、車があって塾にも通えて、大学にも…
なんてわたしたちの親世代までがギリ成し遂げられた世界で、
平成30年、大手企業でもいつ会社がなくなるかわからないような時代に、全然ピンとこないビジョン。
だから、子どもが生まれたら、
その子どもを守り育て上げるために「2人とも働こう」ってのは自然な手段のひとつでしょ。
「理想の家族」をやるにはお金がいる。
お金がいるから、
「預けてでも働かなきゃ」いけないことになる。
あたりまえの思考回路。
「お金がないなら産まなきゃいい」
好きな人との子どもを見てみたいのは本能だし、
理性的に、計画的になれてたら世の中のデキ婚は0っしょ。
お金がなくても人間は育つはずなのに、「理想」がじゃましてる。
「幸せ」イメージのテンプレがうるさい。
………なんて、いいつつも、仕事が、やりたいんや。正直。
家にずっと居たくない。
自己実現を叶えたい。
そう、実は、エゴです。わたしはね。
子どもいないけれど、考えてみた。
預けて仕事する人に「そんなに自分のやりたいことが大事か?」
自分のやりたいことも、大事。
子どもも、大事。
だってわたしも子どもも1人の人間。
「わたしが“やりたいこと”」にこだわることで、
「こどもがやりたいこと」を将来、尊重できると思うんよね。
「あんたのために」って我慢ばっかり必要とされるなら、
子育ては辛くてキツそうなイメージしか湧かない。
「産んだんだからお母さんが大変なのはあたりまえ。やれよ!母なんだから」
反論したくなるんだけど、
そうだよね。
「仕事大変なのはわかるけど、自分が選んだ会社でしょ!」
「旦那がDVで大変なのわかるけど、自分が選んだ人でしょ」
とはまた訳が違う。転職もできなきゃシェルターに逃げられないしね。
人間ひとり育て上げるなんてそうそうたるプロジェクト、軽い気持ちでは挑めんよ。
「別に、産んでて頼んでへんし」
「産むかどうか」は決められるけど
「生まれるかどうか」は決められない。
「別に、生んでて頼んでへんし」って言った人を見たけど、
ほんと、そう。
わたしの場合、「頼んでないのに、ありがとう!!!!まじ感謝!」て感じ。
「生まれてきてよかったー!!」って思える感受性が育つには、
人に恵まれて、美しいものを見たり、成功体験を重ねたり、恋をしたり、
やっと思えることだと思うから。
いろんな経験値がいる。
たまたまそう思える環境にいられただけで、
死にたい人は産んでなんて望んでないのに生み出されて、死にたいのに死んじゃだめとか言われ、
じゃあなにを自分は決められるの?ってなると思う。
子が「死にたく」ならないように
そばにいて触れて、抱っこして、かまうべき時期ってものあるのかもしれない。
「子どもが小さいとき女性はそばにいたほがいい」
はじめの方はいちいち反論してたし、「でも今の時代は…!」なんてありきたりなことを毎回言ってたんだけど、
最近、その上司の言い分もわかるきっかけがあった。
会社でインフルエンザが流行ってる。
上司が言った。
「うちの子もインフルエンザでさ。今日学校休んでる。
俺、小さい頃、両親共働きでさ。風邪の日にひとりで、寂しかった。
だから結婚相手は、家で子どものそばにいてくれる人を選んだんだよね。」
「なぜ男性が女を家に居させたがるのか」をわたしはイメージしたことあったかな?
「お母さんは、家にいて」は、幼少期の彼がお願いしてるのかも。
なかなかマザコンで、それはそれで愛だわ。